223年前の今日(旧暦)、幕府が江戸の公衆浴場(銭湯)に対して「男女混浴」に対する禁止令を出した。
江戸時代、庶民の家には基本的に風呂は無く、銭湯に行ってさっぱりするのが普通。
しかも今では考えられないが男女混浴だった。
ほんの100年か200年前の日本人は、男も女も人前で裸になることにさほど抵抗がなかったようである。
ただ、当時は今のように風呂場には明かりが煌々と付いていたわけではなく、薄暗い上に蒸気で曇っていたため、浴場すべてを見渡しやすい状態ではなかった。
しかし、問題になったのは銭湯にいた、垢すりや洗髪をしてくれる湯女(ゆな)の存在である。
中には入浴後の男性客に2階で性的なサービスを行なう者も存在したようで、幕府老中の松平定信は、これを問題視して禁令を出したのだ。
幕府は混浴そのものではなく、そういった売春を憂慮して禁令を出したのだが、長年にわたって根付いた文化を変えるのは難しい。
それに男女別にするとなれば、設備の改修も必要になる禁令の後も一向に改まらなかったようだ。
状況が変わったのは、幕末の1853年。
ペリーの来航以後、欧米人が頻繁に日本へやってくるようになってからだ。「男も女も赤裸々な裸体をなんとも思わず、互いに入り乱れて混浴しているのを見ると、この町の住民の道徳心に疑いを挟まざるを得ない」
アメリカ人のペリーにとって、その光景はショックだったようで、上のように記録している。
なんとも余計なお世話に思えるが、明治維新後、こういう声は増えてくる。
近代化をめざす新政府は外国人、とくに欧米への体裁を気にかけ、都市部における男女混浴の根絶をめざした。
しかし、混浴はなかなか無くならなかった。
都市部の銭湯では明治末期に相当数が男女別になったようだが、地方の温泉地などでは昭和30~40年代まで共同浴場は依然として混浴が主流だった。
高度成長期になり、男女別の混浴文化で育った都市部の人々が観光地や温泉地の混浴を嫌い、旅館やホテルもそのニーズに応えて男女別の浴場を設けるようになる。
今や都市部では絶滅したに等しいが、古い湯治場や秘湯と呼ばれるような温泉地では少ないながらも混浴の風習は残っている。
やっぱジャップって昔から性に開放的だった
>ただ、当時は今のように風呂場には明かりが煌々と付いていたわけではなく、
薄暗い上に蒸気で曇っていたため、浴場すべてを見渡しやすい状態ではなかった。
余計にエロい
江戸時代の人っておっぱいに興味なかったんじゃないの?
湯屋って風俗業だったしな
混浴でも問題がおこらなかった
日本人の民度の高さ
洗い場と浴場が別になっている
柘榴口という狭い入り口で分けられており、暗いのは浴場、洗い場は明るい
洗い場には湯を溜めてある大きな容器があり、そこから湯を汲んで使う
間違ってもそこに入るんじゃないぞ